日本低フォドマップ食推進会
会長 宇野良治、医師、医学博士
OfficeUno Column



私が子供の頃、

自分の前世は特攻隊で沖縄の海で死んだと言っていた記憶がある。

それを思い出したのは、初めて沖縄に行った時で、

詳しくは言えないが、何もかもわかった気がした。

その後、靖国神社に何度も行って、自分の写真がないか?

探したこともある。

今でも、特攻隊の動画を見ると、自然に涙がでる。

いろいろな運命で、その沖縄で暮らることが出来たが、やはり、不思議な経験をした。

低フォドマップ食と出会ったのも沖縄だし、

ネネと出会ったのも沖縄だった。

ネネは沖縄戦で米軍が最初に上陸した読谷の教育者の孫である。

そういえば、ネネには沖縄出身の南沙織の雰囲気がある。

沖縄に住んで感じたことは、日本の兵隊が、沖縄人を日本人としてではなく、

あたかも、非日本人の島人として扱った過去を忘れていないということだった。

たしかに、私の前世?のよに、

沖縄のために死んだ「やまとんちゅ(本土の日本人)」もいる。


しかし、防空壕にいた「しまんちゅ(沖縄人)」に、

「ここは兵隊が入る。出ていけ!」


と銃を向けたことは、終戦日には、必ず、沖縄のTVで放送されることを、

ほとんどの日本人は知らない。

今でも、沖縄の人は皆、言う。

「日本兵より、米軍が親切だった」と・・・・

そのため、沖縄が日本に復帰した時、

沖縄の人は喜ぶべきかどうか、非常に複雑だった。

その思いは、今も続いている。


この終戦の日、本土の日本人は、沖縄に与えた恥を知るべきだ!

と思う。

その前提に立たねば、基地問題も解決しえない。


私が沖縄の病院を退職して引っ越しの前だったか、覚えていないが、

何人もの職員が、私のアパートの玄関に来て、そして、

山ほどの花をもらった。

その花は、浴室の浴槽に入れても、いっぱいになったことを覚えている。

沖縄人は沖縄の気候のように温かく、

そして、天気雨のように泣いても笑っている。


好きだね・・・いい人たちだよ・・・・

だから、今、思い出したようにだけれど、

島豆腐、ジーマミ豆腐を応援することに決めたのです。


そう、今日、終戦の日、

買った豆腐が、

沖縄から届いた。

okinawa

これは、教えたくないほど、おいしいのです。




皆さん!

沖縄の応援よろしくお願いいたします!