蜘蛛の糸:低フォドマップ食

 

 

昨日、ショコラのネネから送られてきたメールにあったサイトを読んで、PECの記憶をたどりました。

 

http://ouchiyushin.com/pec/

 

http://ouchiyushin.com/profile1/

 

私は、ある事件を契機に大学を去りました。それは酷いものでした。私が中国に行っている間に、大腸がんの内視鏡切除が行われた患者が、その後、外科手術をした。手術のための予後が悪く、死亡したが、その全てが私の責任であるという内容でした。訴状では、私が外来でその患者を診察し、無理に内視鏡を行い、不完全に大腸癌を切除し、患者が拒否するにもかかわらず、無理に手術をさせたとありましたが、私は、その患者を見たことも、話したこともありませんでした。私は、その頃、日本の学会賞のみならず、米国内視鏡学会の賞を受賞し、早期胃癌研究会が主催していた「胃と腸」の最も若い編集委員であり、ランセット論文も2つアクセプトされ、まさに飛ぶ鳥落とす勢いがありました。あまりにも巧みな訴状の内容から、自分の周囲の誰かが組織的にシナリオを書いたに違いない、つまり、ハメられたと思い込み、大学を去ることにしました。その事件は、私が中国にいた証拠としてパスポートを提出したにもかかわらず、裁判になり、最終的に、私が全てを導いたと訴えていた患者の妻から、常に患者のそばにいたが私を見たことも話したこともないという証言があり、私の罪は問われませんでした。震えながら、「会ったのは、今日が初めてです」という証言を聞いた時、私は号泣したのを覚えています。(しかし、その妻が、もし、嘘を言い続ければ、結果は、逆だったでしょう)。

 大学を辞めた私は大学と関連のない病院に就職しました。就職した際には、周囲の病院、クリニックをまわって、「患者さんを紹介してください」と土下座したのを覚えています。そして、そこで一生懸命仕事をしているうちに出会ったのがPECでした。患者さんを何とか良くしようとしているうちにPECを自然に行っていました。調べてみると日本で初めてのPECでした。さらに、東京の某大学から講師になるように要請があり、その準備をして、東京で暮らすところを探していた時に、父が脳梗塞になりました。急いで、父が入院している病院へ行くと、「殺してくれ」と叫び、それを汚い言葉で抑制している介護人の風景を見て、『私が父を死ぬまで診る』と瞬時に決め、自分の病院に父を移送しました。自動的に私の東京行は消失しましたが、PECを追及することになりました。父にもPECを行い、父と相談しながら、PECから入れる量やスピード、入れる液体の効果を実験しました。そこで気が付いたのは、盲腸からの流量によって排便時間が左右される事、ガスが多いと液体が流れない事などは今年発表した「腸管でのベルヌーイの法則の適応」につながっています。また、乳酸菌やビフィズス菌をPECから入れると、異常にガスが増加し、便秘になることも確認していました。それは、現在の低FODMAP食につながっています。

 その後、世界で初めて、イントロデューサー法でPECを行ったと論文を書いて米国消化器内視鏡学会に送りましたが、全く返事がなく、その後、ユタ大学でそのことを講演するように指示されました。そして、ユタ大学の客員教授になって講演しましたが、その時に、PECの患者会の会長の今江さんもユタ大学に来てくれました。そのかいもあって、その直後、米国消化器内視鏡学会のジャーナルに私の論文が掲載されました。そして、PECの日本語の本も執筆しました。その出版の前に、父が肺炎で死亡しました。その直後、ある大きな病院から勧誘がありました。その病院グループはその頃、日本でも大きなグループになっていました。実は、私には夢があったのです。脊髄損傷者が安心して一生暮らせるユートピアを作るという夢でした。というのは、その頃、何人かの頚椎損傷者の主治医でした。全く手足が動かせないにもかかわらず、70歳以上の母親が必死に介護している姿を見て、どうにかしたいと思ったのです。「先生、行かないでくれ!」と泣く家族に、「みんなが、幸せになれるように頑張るために行くんだよ」と泣いて別れたのを覚えています。その病院グループでそれなりの業績を上げれば、夢がかなうかもしれないと思ったのです。しかし、病院グループといっても、はっきり言って経営状態に余裕はなく、頑張っても、頑張っても『脊損者のユートピア』の夢がかなわないという現実を知ることになりました。PECについて先端医療制度を申請しようとして、厚生労働省まで行きましたが、事務手続きが困難でした。(それを担当する事務職員も一緒に厚生労働省へ行き、彼は、絶対にやりますと、言った後に、病院を辞めました)また、姉が母親が死ぬまで面倒をみると約束したため、私は父の遺産を放棄しましたが、その姉が詐欺にあったまま大腸癌で死亡しました。残った母親もだんだん認知症になり、一緒に暮らすことに決めて病院グループを去りました。しかし、その後も「多くの患者さんを(結果として)捨ててきた」という罪悪感に悩まされ、常に、『死にたい』と思い、現在に至っています。

 ですから、私にとって、低フォドマップ食は、地獄から這い上がるための唯一の蜘蛛の糸(芥川龍之介)と思っています。低フォドマップ食は、脊髄損傷の排便管理の基本となると考えているからです。この糸が切れれば、おしまいです。ですから、私の糸を利用して登ってこようとする人がいても、糸が切れるかもしれないので、振り落すことができないのです。