どうしようもない閉塞感

 
コラム:Uno Y


泳げない幼い私は、何度も海に投げられた。

私を海に投げたのは父であった。

私の父は、自分自身が幼い頃に海で溺れた時に自然と泳げるようになったという経験から、泳げない私を何度も海に投げ込んだのである。

父とは違って、私は溺れても泳げることはなかった。

何度か、溺れた後、どんなに苦しくても、最終的には父が引き上げてくれることを学習した。そして、死にそうになっても我慢することを学んだ。今では、明らかに虐待であるが、子供だった私は、海へ投げられるとわかっていても、父と海へ行くのが楽しみだった。子供の私はけなげであった。その後、どんなことがあっても、父の手のような救いが現れるような、そんな気がしていた。

 

しかし、高校の頃、崖から落ちて溺れた時は違っていた。

助けてくれる人はいなかった。

崖の刃物のように鋭い岩肌にしがみつき、全身血だらけになり岩を這い上がって生き延びた。その時、学んだのは、一旦死んだと思い込み、力を抜いて沈むとこまで沈むということであった。そして、死んでいなければ、傷つきながらもゆっくり這い上がるしかない。

 

 

医師になり、僻地へ派遣された時、溺死した親子の死体を見た。

車がスリップして車ごと池に落ちて溺死したのであった。

親子は眠っているかのように、悲しいほど美しかった。

時々、あの光景が目に浮かぶ。

溺死。。。

東日本大震災で多くの人が溺死した。
津波が町を呑み込む映像は、被害を共有する効果を与えた。その頃、TVで笑っている人を見ると腹立たしくなったのを覚えている。
不謹慎
『なぜ、こんな時に。。。』
人がどんどん死んでゆく隣の部屋で大笑いのパーティー・・・これでいいのか?
常に不機嫌になり、人に対して過敏に批判するようになった。
私だけではなく、きっと、多くの人がそう思うようになったのか、以前よりも人々は互いを非難するようになった。単純にバカで面白いTV番組はなくなった。そして、どんなに懸命に生きていても、人間は自然災害であっという間に死ぬかもしれないという気持ちは、日本人の貯蓄額を減少させた。
しかし、不謹慎として、集団全体が喪に服して経済活動を萎縮させるわけにはゆかない。
自然災害の被害者を救う手だてには、集団の経済援助は必須である。
隣の不幸を胸に刻みながら、大笑いのパーティーであっても復興費用を捻出しなければならない。
こんな時であるからこそ、みんなで、心で泣きながらも、
作り笑いをしてでも、一所懸命働くべきなのかもしれない。

北日本に十三湖という淋しい湖がある。

そこは中世、日本有数の貿易港があり、多くの人々が暮らしていた。
日本最強の安東水軍の拠点でもあった。
当時の日本の中心地であったともいわれる。
しかし、巨大津波が全てを呑み込んだといわれる。
その規模はあまりにも大っきく、街全てが湖に沈んだ。
もうひとつの日本は一瞬で消失したが、それは日本の歴史の1行にすらなっていない。

 

西日本大豪雨の被害状況を知るにつれ、虚脱感でもなく、とてつもない閉塞感が襲ってくる。
この感覚は、東日本大震災の津波の記憶を呼び起こす。
今後、我々は笑えるのであろうか?
笑っていいのであろうか?
「不謹慎」という言葉が飛び交う。
そして、本当に自然災害のためだけだったのか?
陰陽師のように、自然災害に何らかの因果関係を結びつけ、
特定の人の不徳のせいにすることはないか?
確かに、

何かを突然失った時などの絶望のプロセスは、無反応、否定、怒り、抑うつ、悲しみ、孤独と愛、諦めと希望である。
TVを見ていると、被害者はまだ、初期段階のような気がする。
そして、今後、どうしようもない怒りが大きくなるような可能性がある。
集団被害の大きな怒りは、世論を動かす渦になる。
東日本大震災での集団の怒りは何をもたらしたか?
そして、それは、本当に集団にとって正しいベクトルを導いたのか?
われわれは、冷静に、思い起こし、先をみつめる必要がある。

戦後、無意識の言論統制の時代、
「りんごの唄」が流行した。

赤いリンゴに 口びるよせて

だまってみている 青い空

リンゴはなんにも いわないけれど

リンゴの気持は よくわかる


沈黙して、見つめる。
それが正しいとしても、どうしようもない閉塞感が襲ってくる。