TPPを見据えた国産スペルト小麦による「腸治療用パン」の開発について

 

宇野良治

 

 

1.諸言

 際間の物品流通のグローバル化である環太平洋パートナーシップ協定(TPP)は、これまでの関税によって保護され続けた国内産業の分野では不安を生じていることは歪めない。特に農業分野における懸念は強く、TPPに反対する活動も継続している。これに対し、日本政府は、輸入に対抗できる「付加価値」の高い農業生産物の生産で対抗すべきという理念を繰り返している。確かに、日本の農産物の中には日本独自の品種改良によって「甘さ」や「旨み」が増量され、国外農産物と比して、味覚レベルでは勝っている果実や米があることは確かである。しかし、その甘味である果糖やソルビトールは、医学的に過敏性腸症候群(IBS)の原因として輸出対象国の間では広く認知されており、また、食感の良いとされる日本の「低アミロース米」は、「高アミロース米」に比して血糖とインスリンの上昇を来しやすく、肥満者の多い輸出対象国にとって必ずしも「付加価値が高い」と断言できるものではない。つまり、TPP協定で、付加価値のある農産物の輸出というベクトルは、輸出国の対象国民の嗜好動向を見据えたフレキシブルなストラテジーという新たなベクトルが必要であると思われる。また、対策としてのベクトルは輸出国だけではなく、ほとんど輸入に依存している農産物における国内生産の内需の利益性に向けられる必要性がある。現に、先の北海道台風被害後に国内のバターが不足し、緊急輸入を行ったが、その理由は国内の生乳利用を確保し、加工用は輸入で補うためとしたが、国内市場で生乳製品の廃棄量や生乳製品と加工製品の利益性を十分に算出すべきという課題が残されている。

 農産物輸入のなかで、もっとも重視すべきは、すでに米の消費を上回った小麦粉であることは言うまでもない。国内の小麦粉の需要は年間508万トン(平成20年、2008年)であるが、その85%は輸入である。そして、その小麦粉の需要で最も需要の高いのはパン用小麦粉であり年間需要は149万トンに及び、その国内生産の割合はわずか2%に過ぎない。今回、著者は医学的エビデンスのある健康的な「付加価値」を備えたスペルト小麦の国内需要の概算を算出し、さらに国際的ストラテジーを考察した。

 

2.スペルト小麦パンの「治療食」としての位置づけ

 これまで、小麦粉の有害成分として欧米で広く認識されてきたのはタンパク成分のグルテンである。グルテンの免疫的異常によって発症する疾患であるセリアック病は欧米では13%であるが、プロパガンダ効果が奏し、グルテンを排除した食品(グルテンフリー食)の年間売り上げは欧米で15億ドル(1590億円)とされる。日本においては、セリアック病の有病率は信州大学中澤英之氏によれば0.7%と試算されているが、日本においてもグルテンフリー食が広がりつつある。このグルテンフリー食は、小麦粉からグルテンを除去する製品ではなく、主にグルテンのない米粉が代用されている。

 一方、小麦粉の有害物質で、最近、注目されてきたのは糖質のフルクタン(イヌリン)である。それは、IBSでの重要なトリガーと認識されている。IBSは腹痛や便通異常を主とした疾患であるが、欧米の罹患率は914%、日本では13.6%(1314.2%)であり、セリアック病よりもはるかに全人口に影響を及ぼしている。2010年から、小腸で吸収されす、大腸内で発酵する糖であるオリゴ糖、二糖類、単糖類、ポリオールがIBSの主たる原因として考えられ、それを制限、除去する食事療法である低FODMAP食はオーストラリアのモナッシュ大学を中心に研究開発され、現在では、世界中でIBS治療のファーストラインに位置している。モナッシュ大学では将来を見据えて戦略的に低FODMAP食の方法についてアプリを販売して世界に発信するとともに、その基準を満たした食品をFODMAP Friendlyとして主要国の国際商標をすでに取得している。(日本での商標は国際登録1161646号)著者は、この動きに対して日本人に適した低FODMAP食を定める目的として「低フォドマップ食」の商標を特許庁に申請し認可された(平成274月、および変更平成279月)。さらに、「日本における低フォドマップ食」の著書を平成27年に著し、国会図書館に寄贈した。

 日本での低フォドマップ食の実践に際して、小麦粉の食事からの除去は非常に困難であることは、現在の日本人が米よりも小麦粉の消費量が多いことから自明の理である。特に、戦後の給食からのパン食の影響は大きく、パンを食事から除去するために何らかの方法を考慮する必要がある。

 日本でパンに使用される輸入小麦粉の場合、そのフルクタン量は100g中に14g含まれるが、モナッシュ大学の研究で有意にIBS症状を抑制したフルクタン量は1.24g以下であることから、日本の低フォドマップ食では1日量のフルクタン量の限度を1gに設定している。つまり、低フォドマップ食においては100gの小麦粉が制限されるが、パン1個の小麦粉の量がおおむね50gであるため、低フォドマップ食ではパン食を禁止しなければならない。しかし、現在の日本の食習性において、その実現は困難であり、現実的ではない。そのため、著者を中心とした有志で結成された日本低FODMAP食推進会において、種々の研究を行った結果、スペルト小麦によるパンは、本来のパンの食感を失うことなく、低フォドマップ食の基準を満たすことが確認された。

  スペルト小麦におけるフルクタン量は100g0.2gであり、現在のパンのフルクタン量を5分の1に低減することが可能である。しかし、スペルト小麦にはフルクタンだけではなく、同じく発酵性オリゴ糖であるラフィノースも影響している。精製した白いスペルト小麦100gでは、総発酵性オリゴ糖量が275㎎(フルクタン+ラフィノース)、全粒粉のスペルト小麦100gでは総発酵性オリゴ糖量450㎎(フルクタン+ラフィノース)であり、総発酵性オリゴ糖量が1000㎎で症状を来すとすれば、全粒粉は222g、精製後では364gで症状を来す可能性がある。また、稀ではあるが何らかの理由でマルトースを分解するマルターゼの生成が出来ない場合、マルトースの影響で症状を来す可能性もある。その場合は、全粒粉のスペルト小麦100gでは、総発酵性オリゴ糖量690㎎、精製した白いスペルト小麦100gでは総発酵性オリゴ糖量=375㎎となる。総発酵性オリゴ糖量が1000㎎で症状を来すとすれば、全粒粉145gで症状を来す可能性があり、精製後では、267gで症状を来す可能性がある。以上から、「腸治療用パン」としてのスペルト小麦は全粒粉ではなく、精製後の100g以内の使用に限定される。しかし、このスペルト小麦粉のパンによる置き換えは、発酵性オリゴ糖であるフルクタン、ラフィノース、マルターゼ総量を厳格に制限できることから、他のFODMAP成分(オリゴ糖、乳糖、ソルビトール等)を混入しない場合において、医学的に「腸治療用パン」としての付加価値を得ることが出来るものである。

 

3.スペルト小麦パンの市場考察

日本のIBSの罹患率と日本国民のパン消費量から「腸治療用パン」の需要を推定することが可能である。日本ではパンのために年間149万トンの小麦粉が使用されており、IBSの罹患率を13.6%とし、IBSの人が、日本人全体と同量のパンを食すと仮定すれば、年間の需要量は小麦粉量で約20万トンと推計される149万トンX 0.13620.3万トン)。しかし。日本のパンで使用される国産小麦粉量は、わずか3万トン(149万トンX 0.023万トン)である。つまり、日本でパン用の小麦粉栽培を全てスペルト小麦に変更したとしても約17万トンが不足する。すなわち、国内でのスペルト小麦生産は積極的行政関与を駆使しなければ「腸治療パン」の需要に近似させることは不可能である。

現在、国産のスペルト小麦は1㎏の販売価格を820円で販売されており、1トンで82万円の価格となる。20万トンのスペルト小麦粉の販売だけでも1640億円の市場が見込まれる。さらに、低フォドマップ食はIBSのみならず、潰瘍性大腸炎、クローン病、大腸憩室疾患での症状軽減が期待されている。潰瘍性大腸炎10万人、クローン病4万人、大腸憩室症が全人口の15-35%であることから、スペルト小麦粉市場の上限見積もりは全ての頻度を日本人口の30%が適応者として3665億円(149万トンX0.344.7万トン)である。

 スペルト小麦粉50gからパン1100円として販売した場合、1㎏で20個となり2000円の売り上げとなる。つまり、パンに加工することにより、粉の場合よりも2.4倍の市場規模となり、その概算は8796億円となる。さらに、他のFODMAPを除去されていることが確認された場合は、付加価値を得た「腸治療用パン」となり、それを1130円とした場合、2600円(対粉比較3.2倍)の売り上げとなり、12千万円の市場と概算される。

 

4.国際社会にけるスペルト小麦の意義

 インターネットによって情報入手が劇的に進化した現在において、日本の患者の基礎的知識が向上している。誤った情報のもとに、誤った選択も危惧されるものの、患者はより先進の医療情報を把握し、自らの健康を保つことに努めているのは事実である。これは、日本ばかりではなく、日本を訪れる海外旅行者においても同様であり、グルテンフリー食品ですら探すことが困難な食品店舗しかない日本の状況では、海外旅行客、特に日本よりも憩室疾患や炎症性腸疾患の多い某米人に対して十分な配慮がなされている状況とは言い難い。そのような状況の中、今後、低フォドマップ食の基準を満たす食品の開発は、2020年の東京オリンピックに向けて、重要な国際的戦略となり得るものである。特に、麺、パスタ、お好み焼き、餃子、たこ焼き等へのスペルト小麦の転用は、健康志向の国民の需要のみならず、海外旅行客に対する外食産業での需要拡大が期待できる。また、日本独自の菓子であっても、「IBS等の腸疾患の症状を予防できる」という付加価値によって、日本の製菓業の増収も不可能ではない。すなわち、スペルト小麦にしてもパンという消費期限の短い食品から菓子という消費期限の長い食品に応用することで、さらなる市場拡大が期待できる。また、消費期限の長い食品での付加価値は、ネットでの海外への販売手法が適応されるため、国際的市場への展開が見込まれる。

 

5.結語
 今後のTPP協定合意で懸念さる農業問題に対する対策としてのスペルト小麦事業の市場規模について考察した。経済活性と健康保持問題は、相反する状況を生み出す場合も少なくない現在において、経済と医療を両軸として推進できるこの企画は、IBSのために就労できない人口も少なくないことからも、今後の日本にとって世界的市場と国内需要を見据えた重要なストラテジーであると提言する。

 

平成28103日(改訂:平成281016日)