
論文形式は科学の発展を妨げていないか?
どの医学ジャーナルをみても、その論文形式は、
背景と目的
研究方法
結果
結語
である。
この形式は、大学院生の研究発表の練習方法であり、ひとつの論文によって変革できる内容は微々たるものである。
誤りが白で、真実が赤である場合、ピンクの論文が山ほどあっても赤にはなり得ない。
つまり、医学の進歩に全く貢献していない多くの研究が存在する。
論理的集大成であるダーウインの進化論は、この方法では生まれなかったに違いない。
コペルニクスの天動説も同様である。
つまり、現在の「大学院レベル」の研究方法では、誤りを覆す歴史的な新説、新発見は生まれにくい。
白ではなく赤であるということを証明するには、数学の証明問題の手法が必要であると思われる。
「Aは白ではない」を証明せよ。
「Aは赤である」を証明せよ。
という命題である。
この証明の過程には、これまでの細かな研究結果び継ぎ合わせと未解決の関係が含まれる。
経験的な直観の論理的証明である。
A=a1+a2+a3+a4=b1+b2+b3+b4=C
D=e1+e2+e3+e4=f1+f2+f3+f4=G
H=i1+i2+i3+i4=j1+j2+j3+j4=K
L=M+N=o1+o2+o3=P
R=S+T=U+V+X+Y+Z=赤
である場合、C=D, G=H, K=L, P=Rについて考察し、
証明できるものを証明してつなぎ合わせるとい方法である。
これは、レビュー論文と似ているが、レビュー論文はA=a1+a2+a3+a4のレベルに過ぎない。
C=D, G=H, K=L, P=Rの証明を必要とする論理的医学研究では、膨大な広い知識の組み合わせが必要である。そして、その数式が完成した時は、多くの点と点が線で結ばれたことを実感し、崇高な気持ちになるのである。崇高な気持ちは名誉よりも重要である。コペルニクスの本は彼の死後直後に出版されたのである。
このような思考回路をする人間は、地球上にあまり出現しない。
しかし、そのような思考回路を持つ人間が、科学を進歩させたのではないか?
・・・・
背景と目的
研究方法
結果
結語
の形式は、私自身、飽きるほど書いた。
しかし、それに意味があるのか?
今日の医学の発展に寄与したDNA構造でノーベル賞を受賞した論文が以下である。
ただ、理論を述べた1頁である。
以上から、大学院レベルの
背景と目的
研究方法
結果
結語
という、研究の仕方は、
文学の起承転結であり、
人文学的な思考回路であり、科学の進歩を停滞させる危険性があるのではないかと思うのである。
自然科学は、直観と論理が重要ではないか?
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